ちょっと机の上を片付けただけで「几帳面だよね」とか言われて息苦しくなった経験はないでしょうか?別にそんなに几帳面でも何でもないのに「勝手に決めつけないで」とイラっと来たりとかです。
でもこんなのはまだ良いですよ。友達でも「貧乏だよね」と面と向かって言ってくる人は少ないと思いますが、言わなくてもそう言っているかのような扱いをしてくる友達を持ったことがある人はいませんか?
自分が貧乏でもそうじゃなくてもどっちでも面倒くさいですよね。この人達の心理について考えてみたいと思います。
特にお金に困っているとかいうことはなく、実はかえって潤っていたりするのにあまりお金を使わない節約家という賢い選択をしている人たちが世の中にはいます。こういう人たちは一見すると裕福には見えず悪く言えば貧乏に見える場合もあるでしょう。
いつも同じ服を着ているように見えたり、食べる物もおにぎり2つとか美味しそうとは思えないような栄養補給程度の内容だったりします。学生ならシャーペンは使っていなくて短くなった鉛筆も補助軸で使っていたり。いつも図書館に寄っていたり。見方によれば「お金ないのかな?」と思えることが盛りだくさんです。
決めつけ症候群の人がこの種の人と友達になったら必ず貧乏だと決めつけて来ます。とにかく少しでも根拠を見つけたらあるタイプに分けないと気が済まない人たちですから「貧乏人」というタイプに当てはめようとして来ます。
例えばこの人を含め何人かで食事に行ったとして支払いの時、たまたま節約家の人が最初にお財布からお金を出したのを目の当たりにしたら、きっと目が点になっていたりします。ここで何か言うかどうかはその人の性格とか人格によりけりですが、顔には「貧乏人のくせに、がんばっちゃって」と書いてあるようです。おつりが出たら「10円、〇〇さんでいいよね?」とか皆の前で謎の発言をするかもしれません。
友達になると何が何でも自分が上になりたいという人がいます。こういう人とたまたま話が合ったりして友達になったものの、何もかもその人よりも上だったりすることはあり得ます。
学生時代なら、勉強も運動もその人よりも上。男女を問わず好かれるのは自分の方。友達になったからと言ってなかなかこれを全て下にするのも難しいことに違いありません。
社会人なら、仕事が出来てしまう、上司にも気に入られ、同僚からも信頼が厚く、異性からもモテルとか。ただ普通に生活しているだけなのに何一つ優位に立ってしまうのです。
どうしても自分が上にならなきゃ気が済まないなら友達になる相手を選べばいいと単純に思うのですが、なぜかそれはしません。自分より上の相手と友達だと言うことが他の人たちに対して自分が上になるステップだからです。
そこで便乗型マウンティングの人が駆使するのが主観的な基準でマウンティングして自分を上に仕立て上げるというやり方です。
いつもランチは外食なんだけど、たまたま気分じゃなくて「今日はおにぎりにする」なんて言った日には「来た!」と凄い勢いで「大丈夫?」と勝手にお金がないと決めつけて同情して来ます。何日か続いたりすると「大丈夫?私が出そうか」なんて言ってくる場合もあります。一方的な同情にイラッとする人も少なくないでしょう。
2人の間だけじゃなく対外的にも自分の方が大貧民に対して大富豪という構図を示したいわけですから、わざと大きな声で言ってくることもあります。そんな時近くにいた人達がチラっと見たりしたら、人によっては不愉快な思いをすることになるでしょう。
自分自身は本当にお金がなくて困っていて、経済的な貧しさのために心まで貧しくなっている人ですね。こういう人は貧乏人の要素となる共通点を少しでも見つけると笑顔で近づいて来て勝手に友達になって来ます。単に服が地味とかなぜか性格が地味で大人しいだけでそうされてしまうこともあります。
なぜかと言うと、大人しい地味な性格な人は、自慢とかマウンティングとかには興味がないので、貧乏話とかに「あるある」と容易に話を合わせてくれるからです。そんな風に話を相槌を打ってもらっているうちにその人も自分と同じ貧乏生活を送っているのだと勘違いが始まるのです。いつの間にか周囲からは貧乏2人組という扱いをされているなんて場合もあり得ます。
貧乏人と節約家が一か月に使うお金に差がないということはあるでしょう。お金を使わない人イコール貧乏人じゃないし、イコール節約家じゃないということですね。節約家の人は友達を貧乏人と決めつけるようなことはしないですね。同じ少ないお金で生活するなら節約家の心持でいたいですね。