小・中・高。
誰もが通過する学業の道で、誰もが理不尽な教師に出会った経験を持っているでしょう。
教師も人間だ、完璧な人間などいない、だからいつの時代にも教員と生徒の間ではトラブルが絶えないのである。
子供のダメな部分を必要以上に掘り込んで、クラスのなかで話題にする教員がいる。
数学がとことんダメな生徒にイライラが溜まり、数学の難しい問題はその特定の生徒にだけは初めから解かせないようにする教師だ。
そして優しいイージーな算数問題だけ、特定の生徒に解かせる。
これでは公開処刑だ、その度クラスの雰囲気は優しい問題しかクリア出来ない子に注目される。
ある生徒(2人組)が放課後も廊下で騒いで遊んでいた。
そこにあらわれたのはa組の先生、生徒の1人はa組、もう1人の生徒はb組だった。
反省の色が見えたかどうかは曖昧だったが、生徒は2人ともその場で先生に謝った。
しかし先生は、b組の子供だけを強く怒鳴り肩を揺さぶった。
『なぜ僕だけ…』
1人の生徒は涙を流して、その日から大人を信用しなくなってしまった。
ここまで、先生の汚点ばかりに注目してきたが、こんな世の中になってしまったのは理由がある。
まずは生徒・保護者の価値観と教員本人の意識のズレです。
学校に通う子供やそれを見守る親の観点では、先生とは大人の見本となる人物だと思っている人々が多くいます。
そう思うのは当然でしょう。
学校では知識を学ぶだけではなく、道徳心や社会人としての常識を学ぶところだから。
過去に恩師がいる親世代からすれば、先生とは偉大な人物というイメージがあっても不思議ではない。
将来の夢は学校の先生!
そう語る人々は減り、現在では収入が安定しているから、世間体が良いからといった理由で教師になる人が増加中です。
昔は先生という職業は特殊なもので、プライドを持って着任する人が多くいましたが、今は違います。
仕事と割り切って先生の顔をしている人がいます。
生徒の期待と、先生の意識のギャップが両者の関係を悪い方向へ向けているのです。
昔は先生の言うことが絶対的な時代であったが、今は道徳を学んだり人生について学ぶのは学校の先生だけに限定する必要はなくなっています。
親だったり、スポーツクラブのコーチだったり、人気ユーチューバーだったり、インスピレーションはあらゆるところから受信できます。
先生は完璧な人物という期待を捨てて、先生も人間だし失敗することもある。
このようなスタンスでいた方が、これからの時代は生徒にとっても先生にとっても良い関係が作れるのではないでしょうか。
差別 他のクラスにだけ厳しい 自分のクラスをかばう