お墓の管理や維持については、地域や家制度の変化もあり、昨今クローズされている問題の一つです。
核家族化が進み、誰が先祖代々のお墓を守っていくかで親戚間でのもめ事の相談も多くあるということです。
多様性社会が進む中、お墓問題も目を背けてはいけないでしょう。
日本の家長制度によって守られてきた先祖代々のお墓は、墓じまいや後継者の都合の良い場所へのお墓の移転が進み、守る人がいなくなったお墓は、荒れ果て朽ちていきます。
お寺や霊園でも、ちらほらと空き地になった場所や荒れたお墓を目にします。
様々な事情があるとはいえ亡くなってしまった方はどうしようもないことなので心が痛みます。
供養に関しては、家族や親戚間でも価値観や考え方に違いがあり、なかなか意見がまとまらず放置された状態になることもあります。
費用を負担したり、年ごとの供養を施行したりと管理を実際にしている人は、主導権を持ってお墓の問題を解決していこうとしても、周りの親戚が、世間体やあるべき論を掲げてお墓の管理に縛り付けようとしてくることもよくあることでしょう。
手やお金は出さないけれど、口だけ出してくるパターンです。
一年に数回、お盆やお彼岸だけのお参りしかしないのに管理がなっていないなど苦情を言いだすのもこういった輩です。
パートナー側の親戚にこのような苦言を呈されて理不尽な思いをされる方も多いかもしれません。
たとえば長男とその嫁が何が何でもお墓を守り通すべきだ。
というような古風な考えのもと、親戚からの圧力に辟易しているカップルもいるのではないでしょうか。
故人の偲び方、祀り方は生きている人の生活優先で、そのうえで心から想えるような場所や方法を、故人と本当に近しい人で考えていくことが一番の供養と言えるでしょう。
樹木葬、合同墓所など時代とともに様々な供養の形態を選択する人が増えています。
お墓参り=親戚の集まりという時代はもう過去のモノという認識を、高齢世代を含め地域全体の皆で考えていくことが必要でしょう。
お墓との新しい絆の作り方を今後は誰もが自分事として考えていくことが大切です。
多様性社会化が進み、個の存在感も以前と比べて大きくなるでしょう。
親戚だから家制度の維持としてあるべき論を意見しようというは、もはや時代錯誤と言えるでしょう。